月下に眠るキミへ
 


     12


  今宵はスーパームーンだとか。


地球の衛星である月が、
その軌道を地球に最も近づける刻と
満月に見える地点とを重ねる稀有な晩だそうで。
そのような知識なぞ不要だった幼いころ、
宝石をぶちまけたような繁華街にそびえる摩天楼へも
灯火なぞ一切ない貧民街の真っ暗な路地にも不公平なく降りそそぎ、
其処に居る小さな小さな自分や妹を照らす月の光は、
隠れ処を容赦なく暴かれるようで恐ろしくもあったが、
互いの姿を明らかにしてくれる分、孤独や不安を拭うてもくれたもので。
月や星が何なのか、今では常識の範囲で判っているが、
子供騙しなお伽噺に連なる認識を持ったことは一度もなく。
ウサギが月とゆかりがあるなんて話なぞ、大人になってから聞いたほど。

 “ましてや、虎との縁など…。”

あまねく異能を断ち切りもする、神聖な覇気を持つ剛の存在。
獰猛さで獅子と並ぶ、夜行性の獣の覇者。
なのなので、夜陰を統べる月ともよしみ深いということか。
とはいえ それはあくまでも異能の素性の話で、
保持する当の本人はどこまで判っているのやら。
日頃は腰の引けたヘタレのくせに、土壇場になると腰が据わって、
その挙句、無鉄砲なことばかりしでかす困った奴で。
そのような素人臭さも相まって、
昨日今日 異能に目覚めたばかりな、勢いだけの怖いもの知らず、
ただの世間知らずな未熟者だと思っていた。
資料という形で素性にも目は通したし、自分と同じ孤児だというのも知ってはいたが、
昨今の孤児院は結構な補助も受けているので、
食う寝るには困らぬそこそこの待遇の中に居た、生っ白い餓鬼だと思っていた。

 “……。”

訳の分からぬ状況に放り出されて狼狽えていたのは最初だけ、
徐々に場慣れし、力をつけてゆくのを見るにつけ、
鼻っ柱の強い、威勢がいいだけな子供の、
屈託なく育った腕白に相応しい、それは素直な伸びやかさを、吐き気と共に嫉んだ。
だが、どれほど踏みにじっても起き上がる事由に、どれほど必死な彼かを知った。
自身の 後がない生い立ちとは比べても詮無いながら、
それでも妬ましくてならぬ餓鬼だった筈が、
此奴なりにしゃにむで、
打算も何もない、むしろ他者を救うことでしか自身の“生”や居場所を自覚できない、
そんな途方もない馬鹿だと判るにつれ、
直接疎む理由はなくなってもなお、気になる手合いだという認識は消えず。
異能の力で、随分な怪我もすさまじい速度で回復する身。
それでも痛い想いはするのだろうに、誰かの楯になることを厭わない困った奴で。
他愛ないことで笑っているなら良いが、躓いてないか面倒ごとに絡め捕られてはないかと、
直近に居る先達と共に、ついつい気に掛けるようになって…

 “このような事態にいとも容易にすべり落ちる奴なのだ、”

打算がなさ過ぎて、善からぬ方をつい選んでしまう間抜けな奴なのだから、
目を離せというのが無理な相談であろうよと。
懐ろへ掻い込んだほのかな温みの主の、白い寝顔をそおと見下ろす。

 「……。」

時折不安そうに眉を寄せて苦しげな吐息をつくのは、
容態の悪化のためではなく、何かしらよくない夢を見ているからか。
嗚呼そんな顔はするなと思う。
以前の此奴へと覚えたそれ、
安穏としている貌へ感じた 焼けるような怨嗟とは真逆な感覚。
苦しそうな心許ない顔へ、ヒリヒリして落ち着かぬ痛みが滲み出して止まず。
まだ血の気は戻らぬ薄い色合いの口許が、時折はくはくと苦し気に動くのを見やり、
ついのこと、言い聞かすよに囁いている芥川で。

 「大丈夫だ。此処に居る。」

さらりとこぼれた一言に、自分でも少々戸惑いかかる。
何の衒いもなく飛び出したということは、覚えがあったからだろう。
咳が止まらぬ夜なぞに、駆けつけた中也が背中をさすりつつ掛けてくれた言いようで。
それ以前の幼いころにも、そうと言って一緒にいてくれた人が偶にいて。
気まぐれからか、それともよほどに頼りなく見えたのか、
親のない幼い兄妹の傍に誰ぞが居てくれた時期もあり。
ただし、そんな人ほど逝くのも早くて。

 “……。”

何でそうと言ってくれたのか、今なら判る気がする。
その人もそうと言ってほしかったのだろうなと。
そして長じてからは幼い存在を見かね、支えてやりたいと思ってくれたのだろうなと…。


 「何処へもやらぬ。沈みそうになったら引き上げてやる。
  だから安堵して眠れ。」





     ◇◇



きがつけば真っ暗な中だった。
でもどうしてだか、右往左往したくなるような不安はなくて。
ふと何かを感じて空を見上げれば、
ドラマや何かの誇張されたそれみたく、有り得ないほど大きな大きな満月があって。
ああそういえば、今宵は何とかムーンって晩なんだった。

 「…えっと。」

何もないわけじゃあない。頭上には天があって足をつけてる地もあって。
その両方と狭間とに、つややかな夜の気配が満ちている。
月の世界かと思わすほどに、何も見えない漆黒の蒼穹がただただひろがる風景は、
静寂の中にしんと冴えた空気とそれから、ただただ寂寥感に満ちており。
荒涼とした空間は侘しさばかりが垂れ込めていたが、
ようよう耳を澄ますと、遠く近くに微かに聞こえる。
清水をたたえた玻璃の鉢でも弾くよな、
とぽーん、ぽぽーんという不思議な響きが
高く低く繰り返し、何とも清涼に聞こえていて。

 “誰もいないのかなぁ。”

此処は万物の眠りの場で、起きてる自分の方が不自然なのかな。
不安じゃあないけれど、妙に落ち着けない。
ずっとずっと一人だったくせに、
人は居ても誰にも受け入れられない、
投げられる言葉も態度も身を切るようなものばかりなところに居たくせに。
優しくされるのにすっかり慣れたか、こんなにも独りが寂しい。

 “…寂しい、か。”

贅沢な感情だなぁと今更に感じる。
悲惨な扱いをされていてもまだ住まいではあった孤児院を追い出され、
それどころじゃあなかったはずなのに。
食べるものも寝るところもなく、生きてく術をのみ考えあぐねてた身だったのにね。
いつの間にか、誰も居ないなんてことに心震わす、ただの臆病者になっている。

 爆弾なんて卑怯なものを抱えた男へ、
 お前なんか ただの羨ましがりなんだろう?
 人からどう思われているものか、そればっか気にしてるだけじゃないか…なんて
 いっぱしの啖呵を切ったのは誰?

人を害してでも財布を奪って生き延びてやるんだなんて、
絶対絶対死ぬもんかなんて思ってた鼻息はどこへやらだと。
そんな始まりをまで思い出し、

 “始まり…。”

何の因果かと困惑したほど、それは危険なあれこれが降りかかってきたその始まりは、
よくよく考えりゃあ自分の身にひそんでいた“異能”のせいではあるのだが。
それでも、ほんの素人だったのに
いきなり死を覚悟しなきゃあならないような窮地に立たされたのは忘れ難くて。

 “……。”

そりゃあおっかない、夜叉のような顔しか知らなかったころはちいとも意識しなかったけど。
穏やかな表情がそれは精緻に整ったお顔に乗ると、何とも言えない色を染ませる。
この自分へと怒っているよに見せかけて、実は自分のことなんて ろくすっぽ見てはなかった。
どこの馬の骨だか知らないがという自分を通して、太宰さんしか観てはなかった彼奴。
此奴を潰せば認めてくれるか、肝いりの此奴を易々弾けば見てくれるかと、
そんな把握でしかなかった失礼な奴だったけど、
実際 鬼のように強かったし、それに、
あんなに場慣れし、巧みな戦いようを心得ているのに、
不利な様相へなだれ込んでも、自分の身なんてどうでもいいという無謀な心根でいる奴で。

『力尽きても貴様が居よう。そうと思えば、後顧の憂いなく全力で当たれる。』
『そんな破滅型の考え方に乗っかれるはずないだろうっ』

いつだったか、共闘中に大ゲンカしたこともあったっけ。
戦闘中だというに人を庇ってばっかいたものだから、
ボクはお荷物かと噛みついたらそうと返って来て、
なんだよそれ、ついつい身を盾にしてしまうボクと変わらないじゃないかと、
そこを閉口されていたせいか、何だよ何だよと噛みついたんだ。

 あれれぇ? でも、何で彼を思い出すのかなぁ。
 気の置けない間柄になったには違いないけれど、
 一番逢いたい人は他に居るのに…何でかな何でだろ。

 “……ああそっか。”

つるんと冷たくて素っ気ない夜気の中、
いつの間にか柔らかな風が頬や髪を撫でるよに吹いていて。
ほわりと香るのだ、心地のいい香りが。
以前なら血の匂いがまずは届いたはずなのに、
傍にあって頼もしく、遠慮ないまま笑い合えるよになった“彼”の気配がそちらからする。
何処だろうかと見まわしながら、冷たい足元をペタペタと進めれば、
先々週に出掛けた折、何時も立ち寄る骨董品店で感慨深そうに眺めてた、
何とか織りとか言う刺繍付きのクッションも繊細高貴な、
飴色のつやの出た、いかにも優雅な猫脚のひじ掛け椅子に、
すらりとした脚を組んで腰かけている彼がいて。
いつもの黒い外套も様になった、それは澄ました顔のまま、
歩み寄ったボクを見やると、猫みたいに細めた双眸を弧にし、
なかなかに品のいい笑顔を見せて囁いた。

 何処へもやらぬ。沈みそうになったら引き上げてやる。
 だから安堵して眠れ。

 「…あ。」

伸ばされた手が髪をまさぐる。
あれ? 座ってるままなのに何で手が届いてるのかな。
ぽそんと凭れた胸元には、これもいつものそれ、
サテンのブラウスのリボンタイがふわり開いていて、
それが頬に当たってくすぐったくて。

 「あ…。」
 「目覚めたか、人虎。」

何であんな夢を見たのかが判ったのは、こうまで間近に彼がいたからで。
ふざけ合っててぎゅうって捕まえたら頬に掠める髪の先の感触とか、
吐息の匂い、懐ろの温度。
逆に掻い込まれた時の、細いけど堅い腕や胸板の感触なんかが、
夢の中、いやにリアルに伝わって来たのも道理なほど、
このごろではすっかりと馴れて来た、
小さい、もとえ歳の若いほうの兄人の腕の中へと抱き込まれている。
そっかそれで“おいでおいで”される夢を見ちゃったのかと、
その点へは納得しかかったものの、

  あれあれ、でも何で?と

しばし目許をしばたたかせてから、えっとぉと上目遣いになって伺っておれば、

「此処は武装探偵社の医務室だ。
 昏倒してしまった貴様を運び入れ、凍死しないように監視していた。」
「そっかぁ、なぁんだ。」

やれやれそれで得心がいったと言わんばかり、安んじて ふふーと笑った敦だったのへ、

 “中也じゃないのに驚かないところは問題じゃあないのか、敦くん。”

こないだ眠れないからと彼の側から呼んだらしい、
虎くんの毛並みに埋もれて眠ってたのは目撃して知ってるけれど。
う~ん、そこまで仲いいんだとはねなんて、
やや複雑そうな顔になった、背高のっぽの教育係さんは、
残念ながら視野の圏外におり。
危険な気配も立ててはない人だと逆チェックされ、
どれほどのこと信頼されているのやら、
気づきもしない扱いなのが、いっそのこと微笑ましくて。
そんな把握をされていようとは夢にも思わぬ、当事者の年少さん二人。
仔猫が不器用にもお互いへ毛づくろいし合うよに、
片やは相手の懐へ頬を擦り付け、それを甘受している兄人の方は方で、
まだ意識の半分ほどは微睡の中なのか
甘い柔さにとろけ半分な顔の弟分を撫でてやりつつ、

「吉報だぞ、中也さんが戻ってくる。」

耳打ちするよな小さな声で、そんな爆弾を落としてくれて。
え?と身じろぎごと固まったのも僅かな間合い。

「え? 何で何で、どうして知ってるの?」

というか、何で教えてくれるの?と、
ポートマフィアの大事な情報でしょうとどぎまぎしておれば、

「太宰さん情報だからな。」

組織の情報の横流しじゃあないから問題ないと、
妙な胸の張り方をする黒の青年へ、
何だそれと呆れながらも、そのまま“ふふふ”と目許口許を弧にし、
居合わせた二人をほっとさせるよな暖かい笑い方、して見せてくれたのだった。




 to be continued. (17.11.28.~)




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 *あああ、なんかダラダラして行数ばかり食っておりますね。
  次で終わりますので、もうちょっとお付き合いください。